私の原動力
2026年5月22日、no me in agile #9 あなたの中の未来、大義を語る会にてお話する機会をいただきました。とても素敵なテーマですし、将来、当時は自分どう考えていて今と何が違うのか振り返られると楽しそうなので、スライドと共に今この瞬間の私が感じていることを文章としても残してみます。
言うまでもないことですが、所属する団体を代表する発言ではないのは勿論のこと、私個人においても仕事としては割り切ってやるべきことをやる時もありますし、あくまでも自然な状態での私の思想としてしたためます。
※一言で表現できる良い言葉が思い浮かばなかったのでふざけたタイトルですが、中身は真面目です。
私の原動力
「あなたが喜んでくれて私は嬉しい」
改めて自分の気持ちと向き合った時に、不意に湧き上がるこの感情が原動力なんだと気づきました。これまで「人の為に」や「サーバントリーダーシップ」といった言葉を使ってきた中で間違ってはないが綺麗に言い過ぎているというか、うまく言語化できない僅かな違和感があったのですが、利他的な印象を受けることが要因だったのかもしれません。
"あなた"である理由
世界中の幸せを本気で願えると良いのですが、私はそこまでできた人間ではありません。心理的に距離がある方に対してはイマイチ心が動かず、何かするにしても頭で理由をつけて行動するような感覚があります。
その一方で、"あなた"と二人称の距離感で認識できる方に対しては、とにかく力になりたいと思う気持ちが溢れ出るような違いがあります。どちらも原動力ではあるのですが、その性質の違いから後者の方が自然体で力強さを感じます。
"あなた"だけで完結しない理由
ただ、誰にでも何にでも手を貸すわけではありません。特にわがままな事情で何かを求めていたとすると、その課題を解消しても嬉しいのはその人だけです。それどころか周りが困るかもしれないし、私としても単に自己犠牲をしたくはありません。
その一方で、共同体の中で誰かを思い遣るが故の課題であれば、解消するとその思い遣っている方にも伝播します。巡り巡って私も幸せになれるかもしれない。
加えて、Win-Winのような双方に異なるメリットがあるケースは上記の理由づけによって頭で納得させている感覚があり、共通の理由で喜び合える方がもっと自然で理想的です。
このように、一見すると無条件に他者を想っているようで、でも実は自身と周りの絶妙なバランスで成り立っている節があります。
背景にあるもの
十七条憲法の第一条
少し捻くれているこの思想は何に由来するのか考えていると、十七条憲法の第一条に辿り着きました。社会科の授業で誰しもが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
「一に曰(いわ)く、和を以て貴(たっと)しと為(な)し、忤(さから)う無きを宗(むね)と為(せ)よ」
お馴染みの文言ですが、「和」という言葉に引きずられて「喧嘩をしないで仲よくしましょう」といった解釈にとどまりがちです。ここで留意したいのは「忤(ご)」です。「忤」には「御(ふせ)ぐ」という意味合いがあり、邪悪なものに抵抗して自ら守るということ、単に従順であるのではなく、相手に仁礼信義智の徳がなく道理、人倫にもとる場合は立ち向かうことを否定してはいません。ここでいう「和」とは、人民が「忤」の状況に陥らないよう、上に立つ者が道理や人倫に則った誠の政治、組織運営を行うべきことを示唆しているのです。
引用元: https://www.chichi.co.jp/web/20200422_nagasaki_syotokutaishi/
改めて調べた出会ったこの記事を読んで合点がいきました。きっとこの立ち向かう精神性も含めて共感しているのだと感じます。私はよくお人好しで八方美人と言われますが、ダメなものはダメだと主張する芯も持ち合わせています。言葉通りの「和」の印象に加え、この単に従順ではないことが身に染みているように感じました。
聖徳太子ゆかりの地で育った経験
因果関係は定かではありませんが、私は聖徳太子に縁のある地、奈良県で育ちました。特段、歴史に詳しかったわけでも勉強熱心だったわけでもありませんが、地元の有名な歴史は触れる機会に恵まれますし、その文化圏で生活していると意識せずとも影響を受けます。それにしても奈良に居心地の良さを感じるので、我ながらかなり素直に適応したんだと思いますが。笑
これまでのキャリア
この思想がどう実体験として現れているのかも振り返ってみます。
新卒の頃はがむしゃらでしたが、運用保守や機能開発ができるとチームの役に立てている気がして嬉しかったことを思い出します。少し余裕が出てきてからは「あの人が困ってるから」「チームのために」とコードを書くことが目的から手段に変わっていく感覚があり、しばらくすると「誰のために誰と働くか」が取り分け強い関心ごとになっていきました。
スクラムマスターを名乗り出したのも、チームにスクラムを持ち込んでくれたプロダクトマネージャーがプロダクトオーナーとスクラムマスターをも兼任するような奔走っぷりだったのを見て(もちろん興味が湧いたのもありますが)支えたいと思ったのがきっかけ。
そして組織体制が変わり、私が所属するチームは十数人の大所帯となったこともあって、全てを一人のエンジニアリングマネージャーでまかなうのは大変だろうと自分にできることを模索し続けた結果、今では正式にエンジニアリングマネージャーをしています。
わかりやすい肩書きを目標にしたことがなかったわけではありませんが、それでも行動の根底にあったのはいつも、身近な方の努力や直向きさに心を打たれ、尊敬の念から「この人の力になりたい」と湧き上がる活力だったと振り返っています。
私が創りたい未来
数年前にとある学校の校長先生とお会いする機会があり、そのときに伺ったお話が今でも印象に残っています。
ある生徒は通学のために最寄駅に行くだけでも車で数十分かかる田舎に住んでいて、親御さんが毎日送り迎えをしていました。先生が「大変ではないですか?」と親御さんに尋ねると「いいえ。車の中では何もすることがありませんから、ゆっくり話ができて嬉しいんです。思春期にはほとんど会話しないご家庭もある中で、毎日親子で話せる時間があるなんて、こんなに貴重なことはない。」そう仰る様子に先生は感動しました。
この業界で働いていると生産性や効率を重視することが当たり前のように感じてしまいますが、そんな日々に一石を投じられた感覚があり、この感性を大切にしたいと身に沁みました。
一見すると非効率で課題に思える通学時間もその親子にとっては尊いひとときであったように、きっとこの世界には固定観念による一方的な評価では気づけない価値がたくさんあります。アジャイルソフトウェア開発宣言的に言うならば、合理性や生産性といった考え方に価値があると認めながらも、私は情緒や感性を大切にしたい。競い合って狡賢く出し抜くより、それぞれの歩幅で素直に生きられる世界に魅力を感じる人が周りにいてくれたら嬉しいですし、私自身はそれを体現できる生き方をしていきたいと思っています。
